『NHK大河ドラマ「青天を衝け」のシーン・慶喜公と大隈重信の口説き文句(これからは日本のために尽くせ)』

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ー志がなければ青年ではない・
 生き方にスジがなければ壮年ではない・
 3つや4つ額に向こう傷がなければ戦えないー

新しき 世をつくらむと 告げられし
ふたたび立つや 青淵魂(せいえんたましい)
得山詠歌


1)
土曜日は、

パナソニック第四代社長谷井昭雄様の
「松下幸之助翁の生き方と
 谷井昭雄四代目社長の哲学に学び語る会」
の第六講座が無事終了しました。

93歳になられますが、
ご指導いただいて約20年です。

2)
おそらく、仕事の上で松下幸之助翁と
共にご苦労をされた第一の本社社長を
成し遂げられたと思います。

毎回、講座の終了後には、
3時間ほど色々なエピソードを
お話くださいます。

3)
自宅までお送りする際には、
色々な松下幸之助翁のご本を
たくさんいただいて帰ります。

非売品もありますから、
非常に学びが多くなります。
 
4)
先の縁を作っていただいたのが、
松下電送元社長の木野親之先生です。

三代目社長の山下俊彦様は、
小島直記先生のご縁です。

長い間松下幸之助翁の秘書を務められた
六笠様には、貴重な真筆まで頂きました。

5)
講座が無事に終了した後は、
箕面「学問の道・時習堂」の
伊與田覺先生の記念室にご案内をしました。

伊與田覺先生は、谷井昭雄様のご紹介です。
縁が縁を呼びます。

6)
今回は、谷井昭雄様が副社長の時に
頂かれたご本をたくさん頂き、
非常に幅が大きく広がった気持ちです。

松下幸之助翁と同じく
「公」をとても大切にされたのが
谷井昭雄様ですね。

7)
「辛さを逃げるのは勿体ないことやで」
の考えは、とても大切なことです。

長い人生です。

若い時にかかなかった努力の汗は、
老いた後には苦しみの涙となって
表れるのですね。

人づくりの要諦です。

8)
こういうコロナの体験も、
来た以上は運命として
受け止めるしかありません。

そこから逃げてはならないのですね。

松下経営哲学の、
「本当に人物に力がつくのは、
 いずれも辛い立場を克服した後だった」
という真髄をつかむ人もいます。

9)
久しぶりに渋沢栄一翁の
大河ドラマを見ました。

過日はビジネスSAの時ですが、
今回も感動しました。

慶喜公との会話で
「これからは日本のために尽くせ」
と言われるのです。

静岡で生きる計画だったのでしょう。

10)
しかし、静岡の財政を立て直し、
商法会所を作ったりして活躍する渋沢栄一を、
新政府の大隈重信が招聘するのです。

慶喜公は、渋沢栄一翁の度量の大きさを
見抜いていましたから、
敢えて助言をするのですね。
 
11)
渋沢栄一翁の教えには、
人物を大きくするための
言葉や習慣がたくさんありますが、
松下幸之助翁と同じです。

?吸収してやま「ない」習慣
(向上心と学び続ける意欲)

?建白してやま「ない」習慣
(企業で言えば提案とか具申です)

?結合してやま「ない」習慣
(前進・脱皮して日々新たに生きる)

12)
松下幸之助翁も、
この3つの「ない」黄金律をお持ちでした。

京都・社長塾でも、講義をする計画ですが、
人生も、企業も、仕事も、
必ず黄金律があるのですね。

原理原則・法則ですね。

身体に習慣化させる。

13)
日創研でも、可能思考・メソッドには
多くの黄金律をつくりだしています。

アウェアネス・クリアリング・リハーサルの、
この3つのメソッドは日創研が主張する
目標実現の黄金律です。

黄金律とは
「これしかない」という意味を指します。

14)
もちろん、日頃から自分の思考の質の尺度
「モノサシ」をもつことです。

問題・障害の前で、
TPOに応じて、活用するのです。

まさに「実践する(試運転)」に移すことですが、
多くの人は「モノサシ活用」をしません。

15)
「活用しない」「実践しない」
だから身につかないで終わるのですね。

リハーサル理論の中核は
「実践・トライ・活用術」です。

と、同時に、失敗や成功や叱責や、研修や、
体験や、書物など、メモを取るのです。

「脳内引き出し」を持つ。

16)
脳内引き出しが、
何かあった時のモノサシとして
成功を生み出し、
新しい製品や技術を生み出すのですね。

渋沢栄一翁は、フランス渡航で得た
多くの引き出しがあり、
それを「新しい日本をつくる」
モノサシにしたのです。

17)
もちろん、大恩ある慶喜公を
追い落とした憎い新政府です。

瞬間大蔵関連の役を引き受けて
「すぐに辞表」を書きます。

人との出会いは天命ですね。

大隈重信は
「新政府には人がおらん。
 だから新しい日本のために力を貸して欲しい」
と、口説くのです。

18)
生涯、大隈重信との親交を深めますが、
渋沢栄一の活躍は時に重信に応援されたりします。

どんどん、大きな人脈をつくっていきますが、
あくまでも目的は「富国政策」です。

次々に手を打ちます。

19)
仮に、渋沢栄一翁がいなければ、
銀行や社会インフラ整備策や、交通機関や港湾の
引き出しとモノサシがなければ、
多分、前に進まなかったでしょう。

企業で言えば、
経営幹部の優れものがいないのと同じ状況です。

20)
感動のシーンは、静岡を離れる時、
慶喜公との別れです。

「新しい世の中をつくるために、日本の国に尽くせ」
という場面は、如何に慶喜公が
偉かったかという事ですね。

そして、徳川の家臣として与えられた
篤太夫の名の返上を申し述べます。 

「これから、渋沢栄一となります。
 今まで誠にありがとうございました」

実に美しい場面です。

人は出会った瞬間から、
別離に向かってお互いが生きて行きます。

谷井昭雄様も最後の講座になると
言い切られました。

多くの恩師がいなくなられた中で、
お叱りをいただける機会が少なくなります。

老ゆれども かくぞ深きし 言の葉を
噛みしめつつも 御恩忘れじ
得山詠歌

伊與田覺先生とのご縁をお作りいただき、
厳しくお育ていただきました。

谷井昭雄様に感謝のみです。

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プロフィール

  • 日創研グループ 代表 田舞徳太郎
  • 「中小企業の活性化」を事業目的とする日本創造教育研究所グループの代表。
    このブログでは、東奔西走の日々を書きつづります。

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このページは、田舞通信が2021年9月27日 12:22に書いたブログ記事です。

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