『NHK「ひまわりの子どもたち~長崎・戦争孤児の記憶~」(千代さんが育てた孤児)』

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ー何と優しい人がいるのだろう・60年ぶりの同窓会シーンは
 「長崎弁」に故郷を思い出しましたー

ー8月は気持ちがすぐれません
「あの残酷な原爆被災にあっても必死に闘った寮母さん」
 に勇気をもらいました。ー



1)
豪雨被害に遭われた方々を心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた方のご冥福を祈ります。

2)
8月は毎年気分がすぐれない月です。
広島・長崎の悲惨な原爆、終戦記念日、
そして御巣鷹山。

私は終戦の2か月半後に生を受けましたが、
あの悲惨さは毎年見るに耐えません。

3)
終戦後に生まれた私でも胸が痛むのに、
ご家族やお知り合いを失った方々は未だお悲しみが
胸にお残りだと思います。

過日は、月刊『理念と経営』で連載して下さっている
窪島先生を長野にお訪ねしました。

4)
「戦没画学生の絵画を弔っている・無言館」のご縁は、
講演に行きました際に、ふと松本空港で目にとまった
ご本からです。

飛行機の中で読みながら、愚痴もこぼさずに逝った画学生の
心情に涙が止まりませんでした。

5)
兵庫県の淡路島には「ペンの塔」があって、
​​​​悩み多き若い時に車を飛ばし、
よく下から見上げていました。

どういう気持ちで「志」のペンを折ったのか?

若い時にはフィリピンなどにも戦没者の慰霊に行き、
一昨年はサイパン、その前はペリリュー島と
仲間と共に参りました。

6)
玉砕の地ペリリュー島は忘れられません。
最後の打電が「サクラ サクラ サクラ」です。

サイパンの山頂から見るテニアン島は、
原爆投下作戦の B-29 がここから発進したのです。
複雑でした。

7)
その中で、両親を失った戦災孤児たちは更に惨めでした。
別のNHK番組で、政府に見放された
戦災孤児の番組は号泣でした。

終戦後、10数万人の子供が「捨てられたという喪失感」
を味わっています。

冬の寒さに道路脇で眠り、飢え、差別・・・
結婚後もご自分の体験をひた隠しにされた方が
多いのです。

我々も自分の小さな苦悩や、
コロナ如きに負けては駄目なのですね。

8)
土曜日は、餅田千代さん(1910年 - 1991年5月5日)を、
当時の子供たちが語ったNHK番組
「ひまわりの子どもたち ~長崎・戦争孤児の記憶~」
をみました。

戦争孤児収容施設(児童養護施設)である「向陽寮」の
初代寮長(寮母)を今でも「お母さん」と呼んでいました。

9)
当時は37歳で子供2人を抱え、
戦争寡婦向けの授産所に勤務し、
向陽寮の建設を主導したGHQからの要請です。

入所児童とともに生活できる独身女性という条件を満たして
「孤児」の面倒をみられます。

10)
餅田さんは戦災孤児を中心とする入所児童を寮母として
健気に見守っていくのです。
心に傷をもつ子供たちは、荒んだ生活や言動をする者も
いたようですが、「お母さん」は天使のように
子供に寄り添います。

11)
天使のように優しくても、
生活指導では非常に厳しかったようです。
理由は、①退所後に自立できる様、②物事の善悪
③嘘をつかないなど、孤児たちの未来を考えての厳しさ
です。

12)
寮生活を送る皆は家族という考えで、
子供たちに「お母さん」と呼ばせ、
そうしたエピソードを80歳近い人が話します。

一つ一つは御伝えできませんが、我が子の如く、
80人ほどの面倒を見るのです。

13)
当時の孤児たちが、番組で長崎弁で語りだすと、
私も故郷平戸島を思い出しました。
もう10年以上も帰郷出来ていません。

なつかしや 長崎弁に ふれながら 
この世になきし 師や友の顔   
得山詠歌

故郷は 痛みも多き 島なれど 
くつろぎ帰る 日ぞやいつくる   
得山詠歌

14) 
横道に逸れましたが、お母さんの活躍は
向陽寮の開設当初です。

物資・食料・予算などの不足が深刻にもかかわらず、
必死に子供たちを守り通します。

15)
農家を一軒一軒頭を下げて回られたり、
その辛苦は目を覆うような気持ちになります。

と、同時に、私自身の生き方の反省です。
自分の為には必死になった。
でも、他の人には役に立ててない・・・・・
 
16)
今日から34TTですが、「実践経営哲学」で、
カントの「認識論」や「判断力批判の崇高の念」に
ふれます。

その原稿を書いた後の番組ですから、
まざまざとこの「お母さん」に、カントの主張する
生き方をみました。

17)
1977年に向陽寮勤務を終えられますが、
退任後も保護司を務めるなどされています。
1991年5月5日に死去、享年82歳。

性格は、ご長男によると「豪胆」「何事にも積極的」な方
ですが、実に慈愛の深い方ですね。

18)
2021年、向陽寮での活動について、
NHKテレビ番組『こころの時代〜宗教・人生〜』で、
「私は、母になる〜餅田千代と孤児たちの戦後〜」が
放映されたようです。

19)
書物は、
『ひまわりの記 -児童福祉こと始め 長崎県立向陽寮』
-餅田健著 が、1990年にでているようです。

20)
おそらく、千代さんは原爆の悲惨さを前にして、
崇高な念にかられたのですね。

カントは巨大で強力なものを前にすると、
人はその念にかられて大きな使命を抱くと
述べています。

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プロフィール

  • 日創研グループ 代表 田舞徳太郎
  • 「中小企業の活性化」を事業目的とする日本創造教育研究所グループの代表。
    このブログでは、東奔西走の日々を書きつづります。

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このページは、田舞通信が2021年8月16日 13:32に書いたブログ記事です。

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