日米激戦の地ペリリュー島慰霊の旅と川西JC例会(右手は自分や家族や自社のために、左手は世のため人の為に使うこと)

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親愛なる皆様
お元気ですか。


1)
大型連休の前半は、
天皇、皇后両陛下が戦後70年の節目に訪問され、鎮魂の祈りを捧げられた、
パラオ共和国のペリリュー島へ戦没者の慰霊に行ってきました。
旧日本軍が玉砕した島であり、厳粛な気持ちになりました。


2)
天皇陛下の退位までちょうど残り一年という時期もあり、
ペリリュー島南部にある日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」や、
米軍の戦没者をまつる「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」で拝礼しました。


3)
今回のペリリュー島を視察しながら、天皇、皇后両陛下のご訪問に思いを馳せながら、
月刊『理念と経営』の原稿をまとめたり、得山詠歌も48首詠みながらの切ない旅でもありました。


4)
熊本出身の中川州男陸軍大佐が連隊長で、日本軍の守備隊長として指揮を取りましたが、
アメリカ軍は5倍の軍勢と、艦砲射撃、飛行機からの爆撃と圧倒的な強さでした。


5)
詳細は月刊『理念と経営』の連載
「企業の成功法則?社長力・管理力・現場力の三位一体論?」でお伝えしますが、
改めて、我々日本人の在るべき姿を痛感しました。


6)
天皇、皇后両陛下もパラオご訪問にあたって、歌を詠まれておられました。

御製(平成28年歌会始)
「戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ」


皇后陛下御歌
「逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ」

※アジサシとは鳥のこと。


7)
慰霊の神社には御製と皇后陛下御歌があり、
もしかして、この島で生前退位を決められたのではないか、などと複雑な念いでした。


8)
私は歌人ではありませんが、歌を詠む事で鬱積した気持ちを紛らしてきました。
拙いものばかりで表には滅多に出していません。
若い頃、歌会始には毎年応募していましたが、
昭和39年歌会始お題「紙」の時の応募和歌で詠んだ「せつない念い」は今でも覚えています。


9)
自らの いのちを断つと 決めし人の 同じき道を 吾問い歩く

悲しきも 無念もすてて 拳銃で 自死し中将の 思いやいずこ

御退位を決めたる後に訪れしパラオの海みて何を思わる

空見上げ 月も隠れてかなしきの 歌を詠みつつ パラオを旅す

誰しもが 逝く道通る 身なれども 敗れてもよし 潔ぎよきたし

声あげて 泣きたし気持ち おさえつつ 料理にかける 醤油重たし

ペリリュー島の 御霊を偲び 灯(ひ)の点る 夜の帳(とばり)に 両手を合わす

中将の 無念の最後 偲びつつ 空みあぐれば 満月隠る

散華(さんげ)せし 人の思いを 抱きしめて 月なき空の 悲しきの歌詠む


10)
ペリリュー島の戦跡を見る度に心打たれました。
日本が世界に誇った零戦が、浅瀬でそのまま残っていました。
当時、東洋一の飛行場があり、アメリカ軍が本土爆撃の拠点として奪おうとしての戦いで、
守備隊は71日間も地獄の体験をしたようです。
昭和天皇が、恐らく沖縄と共に心残りの島であり、そのお気持ちを抱いての3年前の慰霊の旅だったのでは・・・と思いました。


11)
私が現役の青年会議所時代には、
洋上スクールやJC青年の船「とうかい号」などで洋上慰霊祭を行ないました。
OBになっても、講師として10回ほど乗船しました。


12
確か、世界各国から青年たちを乗せて、
第15回JC青年の船「とうかい号」の団長の時だったと思いますが、
洋上慰霊祭では海外の青年たちが真摯に慰霊をしてくれました。


13)
福岡地所やキャナルシティ博多の榎本一彦さんが団長の時には難民船に出会い、
国際法に則って、難民船救助を意思決定しました。
船長さんは反対の意向でしたが、榎本一彦さんの英断に今でも敬意を表しています。


14)
その1981年は、国際連合の定める「国際障害者年」で、
私は福祉開発委員長として「国際福祉の方針」を立てて「難民問題」に取り組みました。


15)
青山にあるUNHCR(難民高等弁務官)オフィスに通い、
現地視察情報や、難民条約を批准していない日本政府に必死に嘆願運動をしていました。


16)
ベトナム、カンボジア、ラオスなどの国境沿いをタイ側から視察して、
国境沿いの反政府軍と交渉したり、大砲の音を聞きながらキャンプの訪問を続けました。


17)
いざ、動き出すと熱が入るタイプでしたから、
多くの方々に「お前のやり方はJC運動ではないぞ」とたしなめられました。


18)
一介の委員長が、常任理事とJC会館の中で怒鳴りあいもしましたが、
榎本当時副会頭は難民船を救助してから理解を示して下さいました。


19)
さて、順番が前後しましたが、大型連休前に我が川西青年会議所の例会講演に参りました。
正直、見事な例会運営に驚きました。我々の時代より数倍の格調の高さでした。
背筋を伸ばして真摯な態度、見事な理事長挨拶、真剣に学ぶ姿勢に逆に教えられました。


20)
本を読むこと、実践すること、自己研鑽を積むこと、
自社が地域にとって無くてはならない企業にすること、リーダーシップを磨くこと、
右手は自分や家族や自社のために、左手は世のため人のために使うこと、
人材を育成すること、企業の永続が一番大事だということなど、現役当時から何ら変わらぬ講演でした。


21)
我々の時代には、自社の業績に無関心、未来に対するビジョンもない、
リーダーシップもない、必死に学ぼうとしない、現状に満足している、遊びは好き、変なプライド、
結果的に企業破綻もあり、そのようないい加減なメンバーもいました。
足元も見ずに良いことだけ言って、後は何も変わらなかったのです。


22)
過日も、本年度の池田会頭所信に基づきながら、
池田会頭の危機感を私なりの尺度でお話する8時間ほどの機会も頂きました。
我々が先輩顔をするのは余り好みませんが、
日本青年会議所は「真剣に国家を憂う唯一の組織だ」という誇りは、現在もあります。


23)
川西のような小さなJCでは、私の役回りを支えるのに大変だったようです。
出向時代は私の立場を鑑みて、メンバーに多くのお金を使わせました。
今、川西市長をされている当時の理事長は、
私の任務が終わる時に涙ながらに「メンバーに迷惑かけて辛かった」と、苦しい一年を語ってくれました。


24)
何事もひとりで成し遂げるものはありません。
多くの犠牲の上にすべては存在している・・・慰霊の旅を終えて、改めて多くの方々へ感謝のみの気持ちです。
私は地元大阪の青年会議所には入会を断られ、隣町である兵庫の川西青年会議所に入会しました。
仮に大阪の青年会議所だったら・・・、私の今の人生はないでしょうね。


田舞徳太郎

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プロフィール

  • 日創研グループ 代表 田舞徳太郎
  • 「中小企業の活性化」を事業目的とする日本創造教育研究所グループの代表。
    このブログでは、東奔西走の日々を書きつづります。

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このブログ記事について

このページは、田舞通信が2018年5月 6日 18:15に書いたブログ記事です。

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