人間の一生(菅さんさようなら)

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親愛なる皆様
お元気ですか。


今日の教訓
「生きた経営を自得するには、道場が必要である。
その道場が会社であり、商店であり、社会である」
この考え方が幸之助の一生を貫いています。
謙虚な心さえあれば、自分の周囲にあるもの、
いる人すべてがわが心の鏡、
自分が今日一日やったことが、成功か失敗か、
決して平穏無事な一日ではなかったはずだと気がつきます。
自分の振る舞いの正邪が、
そこにありのまま、映し出されてくるものです。   
                    
       木野 親之 著「松下幸之助に学ぶ指導者の三六五日」より
                                                   
 
メールを頂戴しながら返信が出来ていません。
心より心よりお詫びを申し上げます。
田舞徳太郎


1)
暑い日が続きますが如何ですか。
田舞塾の第13期が無事に修了しましたが、
起業家養成スクール長の菅 寿雄さんご逝去で落ち込んでいます。

社長塾、明徳塾の最終講で先日より金沢に来ていますが、
やはり、まだ悲しみを払拭できずにいます。


2)
やはり、「縁ありて花ひらき 恩ありて実を結ぶ」ですね。
私の人生は縁で活かされ、恩で花ひらかせて頂きました。
菅さんも10本の指に入る位、特別な人です。


3)
日本創造教育研究所が創業してから6年目くらいの時でした。
私は、日本の産業振興を担う若者たちの育成を真剣に考えており、
そのビジョンを率直に菅さんに相談したのです。20年前の話です。


4)
菅さんは早稲田大学の文学部を卒業されていますが、
2TTを卒業され、ファシリテーターも経験されていただけに、
日本の全体像を見る目をお持ちでした。


5)
私のビジョンにご共鳴下さり、
起業家チューターとして活躍され、今年で19年でした。
今でも菅さんとのやりとりの一コマ一コマが脳裏から離れません。
実に惜しい方を失い、悲しいです。


6)
起業家養成スクールの海外研修は主にアメリカでした。
シリコンバレーを中心に色々なベンチャー企業を訪問し、
スタンフォード大学で講義を聞いたり、ディスカッションをしたりしていました。


7)
スタンフォード大学のキャンパスに初めて立った時、
あまりの広さと荘厳さに、全員が圧倒されましたが、
こういうところで学んだら「人間」として大きくなれるだろうな・・・と思い、
自己修養も含めてスタンフォード大学へ行くことを決意したのが、
まるで昨日のことのようです。


8)
菅スクール長はじめ、
起業家チューターさん達は全員がボランティアですが、
菅さんは、個性豊かなチューターさん達をしっかりまとめ、
起業家養成スクール生を丁寧に指導され、
見事に責任を果たされました。


9)
今年の3月には株式会社ベアハグの稲川社長の講演がありましたが、
やせ衰えながらスクール長としての役割を果たす姿は、
言葉の掛けようもないくらい厳粛なものでした。


10)
4月には、25TTコースの開校式でご挨拶も頂きましたが、
体調が最悪の中をきちんとご挨拶され、
私は後方でひやひやしながら拝見していましたが、
その真剣さに、人間の凄味を見たような気がします。


11)
とにかく知識が豊富で、志が高く、
いつも自分に問いかけながら生きられ、
よく二人でディスカッションもしました。
現実的でかつ理想家で、私心が少なく、
いつもご受講生のことを中心に考えておられました。


12)
阪神大震災の際も、起業家養成スクール生達とボランティアをしましたが、
全員で重い荷物を背負い、長い間歩いて神戸にたどりつき、
菅さんの指示で活動し、被災者の方々に喜んで頂きました。


13)
ビルが倒壊している姿は今も目に焼き付いています。
その中で、色々な物資を仕分けして、数カ所に運ぶように指示される、
菅さんの意思決定の速さは驚きでした。


14)
イエス・ノーもはっきりされていました。
判断基準がご受講生の為にあるだけに、
私もいろいろとご指導を受けました。
とにかく、起業家養成スクール生を心から愛しておられたのです。


15)
そのお陰で、前夜祭(通夜)にも帰幽祭(告別式)にも、
沢山の起業家養成スクール生が来てくれました。
北海道から鹿児島まで、本当に感謝で涙が出ました。


16)
弔辞は起業家養成スクール生代表で、
11期生の能勢社長が詠んでくれましたが、
200人余りの起業家養成スクール生も感動したようです。
きちんと整列して、襟を正しての弔辞です。


17)
東日本大震災の時には既に癌は5カ所に転移していました。
しかし、我々には何も告げずに、同じ2泊3日の行動を取られました。
4月7日には震度6を体験し、ホテルに泊まれずに
全員がバスの中で2日間を過ごしましたが、
菅さんは疲れた表情を一切出さず、ボランティアもされました。


18)
仙台から帰った後、すぐに入院されました。
この時には相当胆嚢がひどくなっていたと思います。
5年前に胃がんの手術をされましたが、
すでに余命2年の宣告を受けられていたそうです。
5年生きられたのは奇跡だと思いますが、
まさに、真の教育者の「最期のお姿」だったと思います。


19)
私の次男も13期で菅さんにご指導を頂きました。
現在は月刊『理念と経営』を担当し、コーチングや
TAなどを訓練していますが、
当時次男は日本創造教育研究所にも入社しておらず、
本人も不安な中で起業家養成スクールを受講していたと思いますが、
親代わりとして、次男をお育て頂きました。


20)
お葬式は神式で行われました。
前夜祭(仏式ではお通夜)と帰幽祭(仏式では告別式)が、
田舞塾の最終講と重なりましたが、敢て田舞塾の皆さま方にお許しを頂き、
前夜祭に出て、ケース・メソッド授業だけを行いました。


21)
弔辞は私の長男と二人で作成し、
深夜まで書いた文章を長男に代読してもらいましたが、
5分では読めないくらいの思い出がありました。


22)
人間の一生には色々な形があります。
菅さんの人生は「教育者」としての一生だったと思います。
教育には人類への愛と、思想がなければなりません。
この二つを兼ね備えていた菅さんのご冥福を祈ります。

起業家養成スクール生に一番愛されていた菅さん、さようなら!

田舞徳太郎

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プロフィール

  • 日創研グループ 代表 田舞徳太郎
  • 「中小企業の活性化」を事業目的とする日本創造教育研究所グループの代表。
    このブログでは、東奔西走の日々を書きつづります。

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このブログ記事について

このページは、田舞通信が2012年8月28日 17:58に書いたブログ記事です。

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