35年前の中国の旅と驚異の発展(哲学を忘れた時代)

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親愛なる皆様 お元気ですか。

1)
京都の「社長塾」と箕面加古川山荘・明徳庵での「明徳塾」が終わり、
起業家養成スクール生と一緒に中国訪問に行ってきました。
松山さんという4年半も中国で取材をしているジャーナリストも一緒でした。


2)
中国の長所短所や日本の長所短所などを比較しながら、色々な観点から
の講話は非常に勉強になりました。
経済ジャーナリストならではの「切り口」です。


3)
中国は1300万人の超富裕層がいますが、
100%近くが共産党員であり役人です。
中国の新聞や雑誌は、地方都市や末端層の役人の汚職は取り上げるようですが、
いざ国家組織となると黙り込むようです。


4)
中国は防衛予算もかなり使っているようですが、
情報防衛にも同じくらいの予算をかけて情報管理をしているとのことでした。
松山さんの話では中東のようなジャスミン革命は起きないだろうとのことです。


5)
企業訪問は阿波製紙さんの上海工場を見学しました。
この会社は日本国内に4つの工場を持ち、海外にはタイにも持っています。
中国工場は完成して6年半とのことでした。


6)
阿波製紙さんの三木社長には月刊『理念と経営』でもご登場頂きました。
300年の歴史をお持ちですが、最初は藍染めから始り、和紙となり、
現在は自動車のエンジン部門のフィルターや建材用の資材など、
機能紙を製造され、シェアー70%の製品もお持ちの素晴らしい会社です。


田舞徳太郎通信ブログの配信をしています。
http://www.tamai-tushin.com/


7)
三木社長の弟さんが現地法人の総経理をされていましたが、
2日間もお付き合いくださり「中国事情」を詳細にご説明頂きました。
苦労もたくさんおありだったようですが、中国人従業員さんの定着はよく、
離職率は10%程度のようで驚きました。


8)
近隣の中国人を雇用されており、出稼ぎを中心とした雇用ではないことが要因ですが、
工場見学の時に感じたのは「お風呂」など「福利厚生面」の手厚さでした。


9)
松山さんも述べておられましたが、中国の法律はコロコロ変わるので、
それが一番頭が痛いと三木さんも言われていました。
日本料理のお店も名前はそのままですが、名義はコロコロ変わっているそうで、
ビジネスをするには、どこの国に行っても、
やはり、「知恵と裁量とリーダーシップ」で成否が決まるようです。


10)
起業家養成スクール生は実に元気でした。
ジャーナリストの松山さんも、目を細めて、
彼らの希望に輝く言動や表情に感動されていました。
若いということは最高に素晴らしいことですね。


11)
起業家養成スクールOBも5人参加され、
一人は青島(チンタオ)に来年板金工場をつくるとのことでした。
パートナーは日本で働いていた中国人で、成功の可能性が高いようです。

 

12)
私が初めて中国に行ったのは1976年です。
まだまだ4人組問題が尾を引いており、
空港も厳重な警戒態勢でピリピリしていました。


13)
当時伊藤信吾さんという方が団長で、総勢35名くらいの団体でした。
公安から事前学習をしての訪中でしたが、
出迎える方々は全員が威厳に満ち溢れていました。


14)
我々は兌換券で買い物に行ったりしましたが、
当時の中国の百貨店にはあまり品物がなく、
まさに35年前と比較してみるとその発展ぶりに驚かされます。


15)
私は31歳でしたが、昼間の勉強会と夜の食事の後は、
いつも中国の方々としつこくディスカッションしていました。


16)
通訳の方々も全員がバリバリの共産党員であり、
資本主義の欠点をどんどん突いてきて、
最後は共産主義の勝利に終わるという論点で、私はタジタジになりました。


17)しかし、当時の音羽には共産主義思想の浜地さんという方がいて、
この方としょっちゅう議論していましたから、
ブルジョア批判とプロレタリア革命に関してはよく訓練を受けていましたので、
作戦を変えて、深夜に議論を持ちこむことにしたのです。


18)
夜遅いのは私は慣れっこですから、
深夜2時ごろからのディスカッションは私が優位にたつようになりました。
「もう終わりにしよう!」という中国の方々を寝かせずに、
声高に自分の意見を主張したことをなつかしく思い出します。


19)
北京から始まり、上海、杭州と当時は12日間の旅でしたが、
後半は中国の方々との友情も芽生え、親善野球などをしたことを思い出します。


20)
今回、上海でも夜景の美しい川沿いのBUND(バンド)を全員で歩き、
そこで解散した後、私は「ガーデン・ブリッジ」まで歩きました。
35年前に泊まったホテルがあった場所ですが、
さすがに数人で歩きながら込み上げるものがありました!35年ぶりです。


21)
当時は貧しい中国でしたが、随行して下さった役人さんや通訳さんは、
人民服をキチンと着こなして明確な思想に裏付けられて毅然としていました。
非常に魅力があり、流暢な日本語を話す姿には威厳がありました。


22)
GDPが世界第二位となり、外貨準備高も世界一となりましたが、
当時から比べると今の中国に魅力を感じることはありません。


23)
「得るものがあれば失うものもある」
当時の日本も中国も明確な思想や哲学があったような気がします。

35年前を振り返って、
あらためて「昭和」は終わっているのだと痛感させられました。

「貧しくも 耐えて生きにし 人と我
             富むに忘れし ものぞ悲しき」

「平成に 生きながらえし 吾想う
             昭和の光 いずこにあらむ」
                            得山詠歌

田舞徳太郎

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プロフィール

  • 日創研グループ 代表 田舞徳太郎
  • 「中小企業の活性化」を事業目的とする日本創造教育研究所グループの代表。
    このブログでは、東奔西走の日々を書きつづります。

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このブログ記事について

このページは、田舞通信が2011年9月30日 11:57に書いたブログ記事です。

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